06
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赤尾が教室を退室し、その足音が聞こえなくなった時。
俺が所属する列の最前列の萩良典(男子15番)が椅子をガタンと後ろの
机に勢いよく打ち付けるようにして立ち上がった。
「どうしましたか萩原くん」
尾田先生は何事も無いように萩原を見た。あくまで冷静である。
そして立ち上がり、何も発言しない、何も行動しない彼に向って言った。
「質問があるなら手を挙げてから。
何か用があるのだとしたら先生の許可を取ってからにしなさい」
そんな冷め切った尾田先生の目を見据え萩原が発言した。
「俺、赤尾を止めに行きます」
なにを言っているんだ?
俺と同じ事を、耕太や他のクラスメイトも思ったのだろう。
鬼島俊輔は「何言ってんだよ!! いいから黙って座れ!!」と怒鳴っていた。
発言したのは、俊輔だけだ。この国の防衛軍や警察の日ごろの行動を知っていれば、
その管轄にあるものには反抗できない。嫌でも思い知っている。
俺が保育園に入園した年の8月の事だ。俺の父親が反体制思想の疑いをかけられ、
一週間ほど抑留された後、殺された。
そしてわざわざ母方の実家、那波村に帰省、もとい非難していた俺たちの目の前に警察が現れ、
母親が連れて行かれ、殺された。不幸中の幸いなのだろうか。
両親共に目の前で殺された訳ではなく、後日棺に入り、帰って来たことは。
葬儀は身内だけで細々しく執り行い、
そのまま俺達兄弟は母方の実家で祖父母の手によって育てられた。
やつ等は当時北海道に住んでいた俺達を群馬県まで追ってきたのだ。
執着心だか反体制思考の人物に頓着しているのか、はたまた暇なのか。
とにかく、やつ等に逆らえないことを幼心に知った。
その後も何度か祖父母が警察に出頭する事があったが、
二人共無事に俺達のもとへ帰ってきているし、他の親戚が殺されたことも無い。
だからこの場で尾田先生や防衛軍兵士達に逆らうことが、
どれだけ危ないことかわかっていたつもりだ。
もちろん萩原を止めるべきだが、連中に対して足が竦み、何も出来ずにいる俺がいた。
「どうしますか、萩原くん。赤尾くんを追いかけてもいいですが、
その時はそれなりの処置をとらせてもらいますよ」
先生は坦々と告げた。
それを聞いていたにも関わらず、萩原は何も行動できない俺達を一瞥すると、
廊下へ向って走りだした。
正直、時間がゆっくりに見えた。
教卓の前を走り抜けたと思った萩原のミゾオチを台車の
前にいた兵士の一人が小銃の底で殴り、
萩原が前かがみになったところを尾田先生が懐から取り出した拳銃を3発発砲。
血飛沫があがり、床に倒れ落ちた。
それだけだった。わずか数秒の出来事だ。
その光景の後、最前列に居た数人は椅子から崩れ落ち、何人かの悲鳴が聞こえ、
俊輔や片岡秀太、紺野空也、三ア義一と言った萩原と同じ野球部の連中は恐らくきっと、
絶命している萩原のもとへ飛び出した。
俺もそれだけの事を確認しながら、萩原のもとへと飛び出していた。
うつ伏せになっている萩原を起こし、顔が正面を向くように支える。
とにかく、生きていて欲しかった。だがその想いも虚しく散った。
背中を撃たれただけなのかと思っていたが、頭部も撃ち抜かれていた。
眉間に穴が開いていて、そこからとめどなく血が流れている。
先生の発砲により動揺し、萩原を直視できなかったので、見逃していたのだろう。
「お前たちは席に着け。先生もできるだけ、このような事はしたくない」
2年間受け持った生徒を自らの手で殺めて、その態度か!?
何も思わないのかよ、人を殺しておいて!
俺の周り、俊輔も、秀太も、空也も、義一もこちらを睨みつける先生の目を見返していた。
激怒している。当たり前だ。俺だって、猛烈に怒りの感情が湧きあがっている。
そんな俺達を制したのは耕太の一声だった。
「お前ら落ち着け!」席を立ち上がり俺達に向ってそれだけ言うと、
そのまま静かに席に着いた。一瞬だけ、耕太に対しても怒りが沸いたが、
5人とも目を合わせると、誰からともなく頷き、立ち上がり、各々の席へ戻った。
お互いがお互いに「今は駄目だ。この後、チャンスを窺い、仇を取る」
と言い聞かせていたのだと思う。よく、わからない。とにかく、耕太の一声で冷静になれた。
「さて、もうすぐ雨田が出発する時間ですよ」
尾田先生がそう発言した直後、今度は高丸安紀(男子10番)が立ち上がり、
尾田先生に向かい突進した。
何が起きたのか、高丸が何をしようとしたのか全くわからなかった。
高丸安紀は気が弱いヤツで、赤尾幸彦や鬼島俊輔と言った強面の連中に少し
怯えていた節があったし、授業中に先生に名指しされるだけでも動揺していたように見えた。
そんな彼はきっと、この状況に酷く怯え、頭の中が真っ白になってしまい、
自分でも何をしていたのかわからなかったのだと思う。
だから飛び出し、撃たれた。彼が慕っていた尾田先生に。
「時間がありません。雨田さん、前へ」
雨田真貴さんは恐る恐るディパックが積まれている台車の前に進むと、
萩原や高丸の亡骸を見ないようにディパックを受け取り、
肩を落としながら廊下へ出た。
――残り37人
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